いろいろかんがえる

1匹の黒猫と多頭飼い崩壊の現場からレスキューされた目の不自由なウニと交通事故で半身不随の信玄と三女との生活です。

私の住みたい街

私の「住みたい街」

 

それはやはり生まれ育った小田急線沿線の参宮橋駅の街です。

 

子供のころから、スカートをパンツに入れ込んで走り回って渋谷の駅の方まで

 

遊びに行ったり、その頃まだワシントンハイツがあって米軍の香りがして

 

まだ小さい子供でしたが、外人さんのかっこいい姿に、アメリカの生活に憧れました。

 

毎日、明治神宮やそのそばにある馬場に行って、馬に人参を上げたり

 

もう毎日行っていたので顔パスで、そこのおじさんとも顔なじみ。

 

明治神宮もどこに何があってどういう木があって、登れるかとか

 

どんぐりがどこにあって、ニラがどこに生えてるとかも

 

知り尽くしていて、ザリガニをとるとか

 

明治神宮にあった池でオタマジャクシを取って、家にもって帰って育てたり

 

したものです。

 

その頃、オリンピック前で首都高の工事があちこちでやられていて

 

それを覗いて見てみたり。

 

代々木八幡のお祭りには毎日出かけ、そこに居る野良猫を拾って帰ったり

 

「捨ててきなさい」と怒られたり。

 

新宿にも原宿にも歩いていけて、渋谷も代々木公園を通っていけばすぐに

 

渋谷区役所。

 

代々木公園も今ではサイクリングコースもなくなって、変わってしまいました。

 

便利なところでした。そこに住んでいたので他のどこに住んでも不便に感じてしまいま

 

す。

 

その頃は芸能人も結構住んでいて、劇団四季のスタジオもそばにあったので

 

スーパーやお店でも会ったりは日常茶飯事でした。

 

今ではすっかり洗練されて、昔の面影もなく高級な街になってしまいました。

 

近所の友達も今ではみんな引っ越してしまって、住んでいる人は一握りです。

 

そこにもう一度住んでみたいけれど、昔の思い出に浸りたいだけなのかもしれません

 

 

思い出だけそのままにしておくのがいいのかなと思う事もあって、

 

最近はそこらへんに出かけることもありません。

 

書籍化記念! SUUMOタウン特別お題キャンペーン #住みたい街、住みたかった街

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by リクルート住まいカンパニー