いろいろかんがえる

1匹の黒猫と多頭飼い崩壊の現場からレスキューされた目の不自由なウニと交通事故で半身不随の信玄と三女との生活です。

うちの親のこと

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子供の頃は、こんな親!って思ってました。

 

私が親になったら、こんな親にはならないってずっと思っていたから

 

私は、お産の時も実家には帰らずに、主人の実家にお世話になって

 

結婚してもそんなに実家に遊びに行ったりはしなかった。

 

でも、年を取って母親が亡くなり

 

その荷物とかを片付けていると、なんか話が私が思っていたのと違う。

 

母親は子宮筋腫だと思っていたのが子宮がんだったと。

 

子供のころ、小学校1年生くらいまではきちんと朝ごはんを食べて学校へ行って

 

ましたが、2,3年になってくると朝ごはんに母親が起きてくることはなく、

 

3歳違いのお姉ちゃんが近所のパン屋さんに連れて行って菓子パンを買ってくれて

 

それを食べて行ってました。

 

私はパンは嫌いで朝食は炊きたてのご飯がいい派だったので「なんで母親は起きてきて

 

ご飯を作らないのか」って思ってました。

 

日曜日もお腹すいて、昼くらいになっても母親は起きてこないで

 

毎週、父親がチャーハンを作ってくれて食べた記憶があるのです。

 

なんて母親だってずっと思ってきました。

 

運動会も来てくれたことがなく、私の弁当は誰が持ってきてくれて

 

どこにあるのか気になって

 

私はお昼ご飯を食べられるのか、誰と一緒に食べればいいのか気になって

 

競技どころではなかったのです。

 

だから、自分の子どもにはきちんと朝からここにいるよってここで見ているよって

 

言ってあげようって運動会は欠かさずに行ってそう思ってきたのです。

 

それに、帰ると毎日毎日夫婦喧嘩ばっかりで

 

うちは心休まるところではありませんでした。トラウマです。

 

今でも、誰かが争っている音や声を聞くと嫌な気持ちになって逃げたくなります。

 

そんな親でなんだって思って育ってきて、母親が死んで

 

子宮がんだったなんて。。起きれなかったのは抗がん剤のせいだったのだろう。

 

体調が悪かったのだろうって今になって気が付いて。

 

何で言ってくれなかったのだろう。小さい私に気を使って黙っていたのだろうか。

 

乳がんの時も手術が終わってから連絡が来たり。

 

なんでそういう事を黙っているのだろう。

 

でも、親の心遣いだったのだろうか。

 

私も親になって色々わかるようになって、私がかたくなに思い込んでいた母親像が

 

ちょっと違ったのではないかとこの年になって気が付いて

 

母親が亡くなってから気が付くなんて。

 

私が思っていた親とちょっと違ったんじゃないかと、この年になって気が付いたので

 

す。