災害時に見る日本人
LIvedoor ニュースを見て感じたこと。
大水で水を被ると、どこもかしこも泥だらけ。片付けるのは容易なことじゃねえよ。それを坂の上に住む町の人たちが見物に来るのがなんとも悔しくてなぁ」
「心配で見に来た」と口では言っても、坂の上の連中は決して手を貸すわけじゃない。
日常が粉々に打ち砕かれた人の惨めさが、残虐な人の本性を見抜くのよね。
人の不幸を喜ぶ日本人。
実際にテレビで被災された人たちが、泥を一生懸命書きだしているのに、被害の少なか
った東京では普段通りに通勤通学、それも普通にゲームをして。
関東で被害があると大騒ぎするが、地方だと早い時で翌日には報道すらされなくなる
現実。
8年前、東日本大震災の後、青森県に取材に行った。惨状を前にして、誰に何を聞くの。一部開通した三陸鉄道の車内で言葉を失っていると、「どちらからですか?」と、70代前半の女性が話しかけてきた。
しんみりと「震災からこっち、これまで仲よくしていた地元の人と話せなくなってねえ」と言う。
自分の家族が流された人と、ほとんど被害がなくて津波がかかって汚れた車を洗っていた人とでは、会話がかみ合わない。
「どんな言葉もかけられないし、かけてほしくない。かえって外の人の方が気楽に話せていいんですよ」
感じよく話されれば話されるほど、彼女の悲しさが私の胸いっぱいに広がって、被害の規模はどうだったか、とうとう聞き出せなかった。
災害は家や町だけじゃない。人間関係も壊すんだよね。
そういう時にその人の本心がって表れるってことでしょうね。
「まさかの時の友が真の友」って言います。
日頃、目につかなかった人間性が露わになることもある。先週のこと(10月15日)だ。地下鉄・霞ケ関駅のホームを歩いていた時、
「水害の被災地にボランティアに行く人の気が知れないよ。想像しただけで不潔じゃないか」
振り返って見れば40代初頭の大柄なサラリーマンで、肩を並べて歩くのは同僚か部下か。
「それはちょっと…」と、連れが止めると、「だって実際そうだろよ」とひときわ声を張り上げた。怒りで体を震わせたのはいつ以来だろう。とって返してブン殴ってやろうか。そう思っているうちに、ヤツは人混みに見えなくなった。
台風19号の翌日、氾濫した東京・多摩川の上流をヘリコプターが何機も飛んで、耳をつんざく爆音を轟かせていた。自衛隊やNHKの報道ならともかく、民放のワイドショーが混乱冷めやらぬ現場上空を物見遊山でバタつくのはやめてほしい、とその地域に住む知人が怒ってた。メイクをしっかりして新品の長靴をはいた女子アナや、見舞いの言葉ひとつかけられない浅薄なアイドルあがりの自称キャスターたちが、眉根を寄せながらも、無神経に現場を踏み荒らす姿を見ると無性に腹が立ち、脱力感を覚えるのだという。
…ホントだね。
※女性セブン2019年11月7・14日号
これって、今回ホームレスが台風避難の時、避難所で拒否されたというニュースで
「おぎやはぎ」が言っていたことと同じですよね。
ホームレスが避難所で隣になったら、ゆっくりしてられない。
一緒に避難所なんて嫌ですよね。
それが自分の立場だったらそういえるんだろうか?
俺はホームレスになんてならないって言われてしまえば何も言えませんが、
自分が、水害被害に合ったときに、ボランティアなんて行きたくないよね。
汚いからって言うやつをどうおもうだろうか?
そういうところで風呂も入れず、泥を掻き出さないとならない人の気持ちが
自分の同じ目に合わないと分からないんでしょうね。
人の気持ちを汲むってそういう事だと思うのですが。
たとえそう思っていても、大きな声で言うなよって思います。
せめて、心におさめて黙ってろって。
二子多摩川のそばで、セブンイレブンをやっている友達が言ってました。
今回の台風で水没してしまったのですが、一生懸命掃除している中に
差し入れを持ってきてくれる人、面白がって中に入ってカメラに収めていくやつ。
あなたならどっちでしょうか?