いろいろかんがえる

1匹の黒猫と多頭飼い崩壊の現場からレスキューされた目の不自由なウニと交通事故で半身不随の信玄と三女との生活です。

今になっていろいろ思う事

私は若いときはぼぉーとした子で、感情をあまり出さない頭の悪い子だったと。

 

まぁ、今もそうなのですが。笑

 

両親のことも、いつも夫婦喧嘩していて学生時代も家庭がちっとも面白くなく

 

心休まる場所ではなかったなと思うのです。

 

この年になって思うのは、小さい頃は裕福な家庭で月に1度は渋谷のレストランで

 

食事をしていたし、スキーや日光、よく旅行にも連れて行ってもらっていたことを

 

思い出します。

 

それが一変したのは、両親のどっちが騙されたか分からないのですが(多分父親)

 

ある人に騙され、借金を肩代わりさせられて、無一文になって破産した時から

 

夫婦喧嘩が始まったと。

 

何で離婚しなかったんだろうと考えてみると、病気がちだった母はそれもあって

 

離婚して生活をしていく自信がなかったんだろうと私も大人になって思い至るので

 

す。

 

今の時代だったら、薬剤師だった母は普通の母親よりは稼げていたのでしょうが

 

やっぱり体が弱かったからでしょう。

 

晩年、頭の良かった母はボケてしまったですが、今日病院の先生に本人はボケたら

 

嫌なこともすっかり忘れられて幸せでしょうと言われてそうなんだろうと。

 

ボケた母は、夫婦喧嘩ばかりだった父に頼って逝きましたから。

 

それに比べて父は、ここにいたら殺されるとか言ってホームから逃走したりして

 

ボケても幸せではなさそうで、それって因果応報なんだろうとか考えるこの頃なので

 

す。多分、戦争のことを思い出し脱走を図っているのでしょう。

 

私は自分のことを思うに、もっときちんと若い頃に将来何になりたいのか真剣に考え、

 

一心不乱に勉強をすればよかったと反省しきりなのです。

 

留学したいと言ったときに、母からそんなお金はないと言われあきらめたのですが

 

努力もしないで家庭のせいにしてそれで勉強できなかったとか言っている自分は

 

結局、自分の失敗を人のせいにしているだけだと。

 

一生懸命に探せば、道はきっと開けていたのです。

 

就職だって、入りたい会社はあったのに三流大学だからと最初からあきらめて

 

受けなかった。それも、考えてみるにけっして人のせいではなく自分を

 

反省するしかないことです。

 

やっと、この年になって色々見えてきて、でももう体力はなくて

 

人生終わりかけているのです。

 

また、年のせいにしてあきらめるのかという最後に力を絞ってやるべきことじゃないか

 

と心の隅では分かっているのです。

 

もう人のせいにはしない。結構、いままでは恵まれた人生だったのですから

 

出来るのですよ。これからでも。

 

と頭の中で色々見えてきている最近なのです。

 

親のせいでも、不幸な境遇と自分で思いこんでいることでもなく

 

結局は自分のせいなのです。

 

後悔しない人生のために今できることを全力でやってみようと思う今日この頃です。

 

 

 

強をして